健康一転語17「心の透明度」を上げよう 

健康一転語17「心の透明度」を上げよう 
「自分は生きている価値がない」とか、「生きる意味がわからない」とか、逆に「自分はこれだけやってきた」「これだけの実績がある」とか、人生を判定することをよくする人達がいらっしゃいます。
自分の人生、いろいろな思いがあるのはよくわかります。
また、自分の人生の支えになっているものが各人にあることも、または、見当たらないと思っている人がいることも、よくわかります。
しかし、どうでしょう?
小学生の時は、小学生なりに。
大学生の時は、大学生なりに。
社会に出て間もない頃は、青年なりに。
結婚や、子を授かった時は、その時なりに。
という具合に、その価値判断は変遷を遂げてきたのではないでしょうか?
人生、死ぬ瞬間に何を考えたかを語ったり、本に書いたりしている人は、1人もおりません。
臨死体験で、何を考えたかを語る人はいますが、それは還って来られて現に生きている状態で語っているだけですね。
ですから、誰もが、「死の元において平等」な訳なのです。
であるならば、「いい人生だった」と思えるように、生きたらよいだけの話であって、途中、あれこれ言うのは暇つぶしにしか過ぎません。
死ぬ時は、肉体も、環境も全て関係なくなるでしょう。
その時に「どう思うか」という心の価値だけで決まるのですね。
そうであるなら、常にピカピカに磨いた窓ガラスのように「透明な心」を持ち続けたいものです。
それが、人としての 本当の価値なのではないか?と思う次第であります。
健康においても如り、です。
死ねまで健康でいようと思えば、常にデトックスを欠かさず、綺麗なカラダでいることが大切です。
穢さないようにするのではなく、どう、汚れをとり続けるか、これが大切なのですね。
透明度の高いカラダ造り。
これを心がけたいものですね。