諺から考える健康学 85

2023.7記 『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ (みをすててこそうかぶせもあれ)』という諺があります。 これは、「水におぼれたとき、助かろうとしてもがけばもがくほどかえって沈んでしまうが、開き直って命を捨てる覚悟で流れに身を任せれば、体が浮いて浅瀬に流れつき助かることもあるの意で、困難にぶつかったときは、一身を犠牲にする覚悟で事に当たれば、活路は開けていくものだ」という意味です。 ここのところ、買収事件に関して、特捜の検事が市議に供述誘導を行っていた、という一件がニュースでも新聞でも賑やかに報道されております。 事実に反したことを、事実の切り貼りをして都合の良いように創り上げるという、実にズル賢く、かつ法に携わる者として一番恥ずべきことであると私は思います。 何のための法治国家であるのか!? そもそもの法治国家の根本に関わる問題でもあるでもあるでしょう。 「越後屋…、お前も悪よのぅ…」という時代劇さながらのことが、現代でも行われているとすると、情けない限りではないでしょうか?(きっと、色々な方面であるのでしょうが…) 諺通り、身を捨てて真実を明らかにしていくことこそが、プロの法曹界の仕事ではないか?と私は思います。 皆様はいかが思われますでしょうか? 健康においても如り、であります。 「これだけで、全て解決!!」的な健康話は、巷に溢れかえっています。 「この方法でやれば、たった〇分で〇〇の痛みから解放されます!」 「身体の不調は全て〇〇が原因だった!!」 の類も如りですね。 そんな、人の身体は単純なのでしょうか?? それなら何で、医療系の教育システムが存在するのでしょうか?? 健康を害する要素は、山のようにありますよね。 それが、なぜそんな短絡的に全快してしまうのでしょう? 病気、という存在は人々の人生やライフスタイルを改善するために存在しているものです。 病気をきっかけに、人生を、ライフスタイルを立ち止まって考え直してみることに意義があるのですね。 ですから、そんな短絡的に捉えて解決できる問題ではないのです。 偶然起こったかに思える怪我や外傷でも如り、なのです。 そこを見つめ直した上で選択する健康食品や、運動法、治療方法ならともかく、前記のような、いわば健康誘導によって人々を導いてはなりない、と、私は考えています。  貧困、病気、人間関係のトラブルなどには、これらの誘導事象が渦巻いています。 弱っている時ほど、人は誘導されやすいからですね。 しかし、そのような時に本当に必要なのは「寄り添い」であるのです。 言葉を変えれば、「愛」ということになるでしょうか。 しかしながら、世の中には、「愛という仮面を被った誘導」がゴロゴロしています。 そこへハマって行かないためには、常に「自らを振り返る、見つめ直す姿勢」というものが必要不可欠になります。 ただ、辛い時にこれを成そうとすることは、諺通り、まさに「困難にぶつかったときは、一身を犠牲にする覚悟で事に当たれば、活路は開けていく」事でもあります。なかなか、パワーと覚悟が必要です。 ですから、ぜひ、元気なうちから、この習慣を身につけておきましょう。 杖は転ばぬうちからついておくものですのでね^ ^