【諺から考える健康学10】

【諺から考える健康学10】 郷に入っては郷に従え(ごうにいってはごうにしたがえ)という諺があります。 これは、「住む場所が変われば習慣や風俗も変わるものだからそれに従って生活をするように。」という意味ですが、一見、これは「周りに流される、自分を捨てて、環境に合わせる」と捉われがちで、日本人のある意味、マイナスの性質を現しているように思われている節があると思います。 しかし本当は『主軸をぶらさず、末端は柔軟に』ということではないかと私は、考えています。 昨年から続いている、コロナ禍に於いて、感染予防と称して様々な新しい常識が急速に出来上がって来ています。 『実にくだらない…』ということも実際は多々あります。 ただ、視点を変えてみると、「手洗い、うがい、換気」などは決して悪いことではありません。「マスクの着用」も、エチケットとしては、これも悪いことではないでしょう。「ソーシャルディスタンスを守る」というのも、ギュウギュウづめの観光地、ショッピングなどを考えると、これも気持ち良く過ごせる一つかもしれませんね。 新型コロナが産んだ、様々な生活様式も、「実にくだらない」と思える反面、「快適に日々を過ごす」という意味では悪いことだらけでもないのかもしれません。 そう考えますと、『新型コロナは、巷で言われているように恐ろしいものでも無いし、危ないものでもない』という真実を知った上で、このコロナ禍を愉しむ、心地よく過ごす、というのも『乙』なのかもしれません。 『自分軸をしっかりと持ち、環境を愉しむ』という事こそ、この様な訳の分からない世の中の時には大切な幸福切符なのかもしれません。 松下幸之助さんが言っていた「不況、また良し」という心境に似ているかもしれません。 健康においても如り、であります。 健康を崩して、病気になったりすると、普段出来ていたことが出来なくなります。 忙しい毎日を充実していた気持ちで過ごしていた方などは、それこそ、不幸のドン底に堕ちた気分でしょう。 やりたい事も出来ない、身体は辛い、良いことなど何も無い、と思いがちですが、ゆっくりと身体を休めたり、何もしない時間を持てる、という意味では、健康な時にはまず体験できない事でもあるでしょう。 喧騒の中では見落としてしまう、 「身体への感謝」「当たり前の事やものへの感謝」などは、病の時にしか実感できないことかもしれません。 健康を害し、病になってもアナタはアナタです。自分自身、苦しみや辛さに翻弄されることなく、自分自身を見失うことさえしなければ、「人生、少し立ち止まって見直してみる」という事に於いては貴重な時間なのではないかと思います。 いざという時、そのように考えていけるように、日頃から『柔軟性を磨く』ということが大切なのかもしれませんね。 皆様は、どう考えられますでしょうか?